デビュー作の映画『美しい夏キリシマ』(2003)以来、映画・ドラマ・舞台と幅広く活躍中の柄本佑さん(36歳)。2023年は監督作品の『ippo』をはじめ、『シン・仮面ライダー』『春画先生』『花腐し』と話題作に名を連ね、2024年の大河ドラマ『光る君へ』にも出演するなど、近年、一層存在感を増しています。

私生活では2012年に俳優の安藤サクラさんと結婚し、一児の父親に。そして、俳優として引く手数多の現在の状況は、家族との生活が基盤にあることだと柄本さんは言います。これまでの20年、これからの20年など、話を聞きました。
俳優の仕事は「やればやるだけ難しくなる」
――今年は監督作品の『ippo』で幕を明け、俳優としては『シン・仮面ライダー』『春画先生』『花腐し』と話題作に出演。2024年の大河ドラマ『光る君へ』で藤原道長を演じ、大活躍の日々ですね。
柄本佑(以下、柄本):非常にありがたいことだと思っています。あの仮面ライダーにまでさせていただいて、平安時代までさかのぼらせていただいて(笑)。なかなか壮大な幅だなと思い、ひとまずはありがたいです。作品に触れる機会をいただけていて。
だけど、やっぱりやればやるほど「難しくなるな」という思いはずっとあって。続ければ続けるだけ、その事柄が難しくなるのは本当だなと。現場に行ってセリフを言う俳優の仕事から、どんどん離れていってしまう気分もあったりして。もっと考えなくちゃいけないとは思っています。
――離れていかないように、日々大事にしていることは何でしょうか?
柄本:自分の中で大事にしている最近のテーマで言うと、昔、石倉三郎さんから飲んでるときに言われた「やりすぎず、“逃げ道”を残しているくらいが粋だぞ」ということですね。その言葉が、ここ10年くらいのテーマではあります。
“いい加減な色男”を演じて

――“逃げ道”とは、いろいろと解釈できる言葉ですよね。
柄本:ここ最近は120点を出す、自分をむき出しにするみたいなことがわりといいとされていて。そこに関しては確かにいいとは思うけれど、僕はそこに違和感を覚えているんですよね。
――公開中の『春画先生』では、通称“いい加減な色男”・編集者の辻村俊介という役柄を、それこそ軽妙に演じられています。
柄本:“いい加減な色男”は僕が言ったわけではなく、塩田明彦監督が衣装合わせの時におっしゃっていたことですが(笑)。ただ僕もその通称は、しっくりくるものがあるなと思いました。
辻村も春画先生(内野聖陽)を一番に尊敬していて、誰よりも『春画大全』の完成を楽しみにしているんです。それは、まるで青春を謳歌しているような感覚にも近い。
きっと春画先生に会う時に心のリミッターが外れてしまい、自分もそのひとりであると、春画の絵の中の人物に近い一面があるように思ったんじゃないかなと。
春画を通して「視野の狭さを思い知らされた」

――塩田監督の作品ということにまず惹かれたそうですが、今回俳優としての学びはありましたか?
柄本:学びは毎回あるんです。塩田監督とは初めてご一緒させていただいて、春画の見方として新たな視点、非常に重要なことを学びました。白いところが肌になっていて、書かずして無から有を生み出していると。
それは監督の発見で、特に白の使い方ですね。あれだけふくよかに見える女性のお尻が、実は何も書いてないことによって描き出されているという、すごい発見なんです。
どうしても局部に目が行きがちなので、視野の狭さも思い知らされる。作り手ならではの発見だと思うんです、学ばせていただいて、まだまだだなと思う。やらなくちゃいけないことがたくさんある。
――映画デビュー作の『美しい夏キリシマ』(2003)公開から20年が経ちますが、“学び”への意欲のほかモチベーションは何でしょうか?
柄本:僕は中学3年の時に始めて映画の現場をやり、そこから2年間何もせず、高校生2年生になる年の頭くらいから今の事務所にお世話になってるのですが、そのときは「高校生が映画に出る」という仕事の仕方で、卒業したら専門学校生になり、今度は専門学校生が現場に行っていただけなんです。
そこも卒業してひとり暮らしを始めたら、この仕事だけになるわけですが、そうしたらよく分かんなくなってしまったんです。自分が何者なのかと。それまでは学生証を見せれば、高校生の柄本佑と書いてあったわけで。
自分を“生活者”だと決めたらラクになった

――俳優・柄本佑と言うには、まだ早かったということ?
柄本:学生の身分がなくなったら、フワフワしちゃって(苦笑)。同級生はスーツを着ていて、自分は短パンで、これはいかん、これでは無理だと、当時思ったんです。
で、僕なりに始めたのが、シンクに食器を溜めない、万年床にしない、掃除機をかける、忙しくても部屋をきれいにしていく。つまり、それが僕にとっての社会と自分をつなぎとめていることにして、そしたら俳優の仕事がラクになったんです。自分の本分は、部屋をきれいにすること、それが俺という人間だと(笑)。
でもそれがあるから、仕事もちゃんとできると思えたんです。何者でもない自分を“生活者”だと決めたら、ラクになったんです。
実は、今もそうなんです。むしろ生活が基盤で、奥さんと子どもといる、そこがこの仕事をやっていくモチベーションかなと思うんです、なのでその当時から、ずっと変わっていないんですよね。生きるということは、そういうことなのかなと。
選択肢は散らかしておきながら…

――たとえば、次の20年など、人生設計についてはいかがですか?
柄本:人生設計って、難しいですよね(笑)。今年で37歳になりますが、むしろこうしていきたい、こうあるべきみたいな選択肢を増やしつつ、でも固執しないというようなこと、でしょうか。
もちろん、あれもしたいこれもしたいという選択肢は散らかしておきながら、でもそこから何を選ぶかは、その時でいいなという感じみたいなことが、結局、妻と娘と生きているということなんですよね。
たとえば僕が選択を託されて、そのチョイスでいいところに行けるかも知れないし、その逆もあって、妻や娘に託したチョイスでいいところに行けるかも知れない。
その中である種、勘を信じているところもあるので、その時に朗らかに明るく笑顔で行ければいいかなという感じかな。はっきりしてなくてすみません(苦笑)。でも、そういう感じで今みたいに仕事も続けていければいいなと思っています。
<取材・文/トキタタカシ>
(エディタ(Editor):dutyadmin)






