『ケーキが布でくるまれてる!?』と目を疑うほど、編み目までリアルな「ZABUTON(ザブトン)モンブラン」。このザブトンモンブランは、大阪にある「Masahiko Ozumi Paris(マサヒコ オズミ パリ)」のケーキで、同店は連日大行列をなす人気店です。
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オーナーシェフの小住匡彦さんは、パリのミシュラン二つ星レストランで副料理長を務めた有名シェフ。この美しいモンブランはどうやって作っているの? ということで小住匡彦さんに話を聞いてみました。
もこもこ感はジェラートピケから着想!?
――今までにない形のモンブラン「ザブトンモンブラン」を作られた経緯を教えてください。
小住匡彦さん(以下、小住)「ぼくは大学を卒業した22歳から29歳までの7年間、パリで修行をしていたのですが、大阪に帰ってきた時に『日本のケーキを世界に発信したい』と考えていたんです。その中で、世界には変わった形のケーキがたくさんあるけど、日本には変わった形のケーキが少ないなと思って、変わった形のケーキを作ることにしました」
――そこからどのように、座布団にたどりついたのでしょうか。
小住「『変わった形のケーキを』と考えたのですが、世の中にある変わった形のケーキを見てもピンとこなかったんです。そんな時、友人と偶然行った百貨店で『ジェラートピケ』の商品を見ました。ジェラートピケの服って、とても特徴的なデザインをしていますが、よく見ると服そのものの形は普通なんです。表面のもこもこで、変わっているように見えるんだ、と気づいて『これだ!』と思いました。ケーキも形はシンプルにして、表面だけ変わった形にしてはどうかと考えたんです」
モンブランは一番得意なケーキだった
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――ジェラートピケから着想を得ていたんですね。
小住「形がシンプルでも、表面が違うだけで全く別物に見えるということに気づきました。そこからクロコダイルのような面にしたり、いろいろ試行錯誤を繰り返したりして、最終的に座布団に落ち着きました。モンブランは自分の一番得意なケーキだったので、それと座布団を組み合わせてできたのがザブトンモンブランです」
――斬新な形のモンブランを初めてみました。
小住「みなさんがよく知っているケーキで変わった形を作る、というのも僕のこだわりでした。『これがモンブランなの!?』という驚きも味わっていただければと思います」
編み目まで全て3Dプリンターで“型”を作成
――編み目の形はどのように作られているのでしょうか。
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小住「建築物を設計するときに使うCAD(キャド)というソフトを使って型を作っています」
――建築用のソフトでケーキを作られているんですか?
小住「はい。CADでケーキのどこに何を何g使うかまで決めて、ケーキの設計図を作ります。そして、その設計図を3Dプリンターで出力して、プラスチックの型を作るんです。そのプラスチックの型にシリコンを注入して、ケーキの型を完成させます。その型をもとにケーキを作るのですが、型があるので一度であの形のケーキが作れます」
――一度であのモンブランが作れるんですね!
小住「一度で作れるんですが、一度で作れなさそうな複雑さと繊細さをデザインで見せるのが、腕の見せ所かなと思います」
建築学科を卒業して突如パティシエの道へ
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――建築用ソフトを使いこなしているのがすごいです。
小住「僕は大学の建築学科を卒業しているので、CADやフォトショップなどが使えます。パリのパティシエたちはケーキのデッサンを描いて業者に型を作ってもらうんです。見習いをしているときにその現場を見たんですが、型作りの方法を見ていたら、『これ、オレできるぞ!?』と思い、日本に帰って試しにCADで作ってみたら、できたんです」
――建築学科卒業のパティシエは、とても珍しい気がします。
小住「建築学科を卒業してパティシエになった人は、僕以外で知らないです。大学の時は、ずっとサッカーをしていてサッカー選手になるのが夢でした。でもプロにはなれないし建築関係の企業に内定ももらったので、このまま特に目標も無く人生を歩むんだろうなと漠然と考えていたんです。その中で、友人たちがサッカーでプロになったり自分の夢を叶えていくのを見て、もやもやする気持ちが募っていました」
父親もケーキ屋、22歳でパリへ修行に
――22歳で進路に悩まれたんですね。
小住「はい。それでケーキ屋を営んでいる父親にその話をしたら『一回、ケーキ屋で働いてみたらどうか』と言われたんです。父親のその言葉を聞いているうちに、それもありかなと考えるようになって『それならパリに行ってお菓子を作ろう』とパリに行きました」
――「ケーキ屋で働く」からいきなりパリ!!!
小住「まわりからはめちゃくちゃとめられました。『普通に就職すればいいじゃん』とか『なんで22歳でそんなことをするのか』とか。僕はサッカーをずっとやってきたので、『自分からサッカーをとったら何も残らない』という焦りもあったと思います。何か自分に残すものを作りたい、と反対をおしきってパリに行きました」
人種差別を経験、トイレに閉じ込められたことも
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――パリでの修行はどうでしたか?
小住「ケーキも作れないしフランス語もしゃべれないうえ、パリはパティシエのスーパースターが揃う街だったので最初はビビリました。でも、実際にパリのケーキ屋でケーキを作ったら思いの外うまくできたんです。上手にできて褒められたら嬉しいですし、『自分でもできる』という自信が楽しさにつながっていきました」
――突然のお菓子留学だったのに、順風満帆だったんですね。
小住「いえ、とにかく辛かったです。大金をあげるからフランス時代に戻れと言われても『絶対に嫌だ』と言います。アジア人だからという理由でいろんな人種差別を受けました。職場のトイレに閉じ込められ、水をかけられたこともあります。職場で何かトラブルが起きると、知らないうちに僕のせいにされて場がおさまることもしょっちゅうでした」
辛くてもくじけなかったワケ
――それはつらい経験ですね。

小住「ツテもないので、自分が食べておいしいと思ったお店に頼みこんで見習いをしながら生活をしていました。朝はチョコレート屋さん、昼はパン屋さん、夜はケーキ屋さんというように掛け持ちです。スタートが22歳とおそかった分早く一人前になりたくて、フィナンシェのお店でフィナンシェが作れるようになったら次はマドレーヌのお店で修行、などお店も転々としました。それらの修行を経て最終的にミシュラン2つ星レストランの副料理長になって、デザートを任されるようになったんです」
――辛い時期に小住さんを支えていたものはなんだったんでしょうか。
小住「『22歳の自分の決断を超える』という気持ちだけだったと思います。まわりの反対を押し切ってパリに行くと決めた自分を超えたかったし、あのまま日本で就職していた自分よりもっと幸せになろうと思ったんです。その気持ちがパリでの心の支えになりました」
目標はミュシュランで星を取ること
――その後、大阪に帰られてご自分のお店を持たれてどうでしたか。
小住「父親のお店を継ぐのではなく、自分の名前と実力でやりたかったのですが、手元にお金がなかったのでクラウドファンディングでお金を集めました。そのお金を担保にお店をはじめたのですが、物件探しのゴタゴタや思ったようにお客様がこない、でも従業員を7名も雇っていて路頭に迷わせるわけにはいかないと、精神的に追いつめられて適応障害になりました。今でこそ、たくさんのお客様が来てくださっていますが、自分でお店を持つ大変さも味わいました」
――今後の目標はありますか。
小住「ミシュランで星をとることです。ミシュランの星を持っているパティシエって世界でパリに1人しかいないんです。日本でも海外でも星を持っているのは全員料理人です。パティシエが開くレストランを作って、野菜やフルーツなどを使ったコース料理を出して、日本初の星付きパティシエになるのが夢です」
――ステキな夢ですね。
小住「お店をここまで育ててきたので、自分の名前でまだまだ勝負をしたいですし、従業員の人生を背負っている責任を全うしたいです。今、ミシュランで星をとれば『日本初』にくわえて、『最年少』という称号もつくので少しでも早くミシュランをとることを目標にしています」
「見た目で味は変わる」と小住さんは言います。小住さんの作るザブントンモンブランは、全く新しいスイーツを五感で味わうことができます。
小住さんの作る芸術的なスイーツで、新しい感動を味わってみてはいかがでしょうか。
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<取材・文/瀧戸詠未>
大手教育系会社、出版社勤務を経てフリーライターに。教育系・エンタメ系の記事を中心に取材記事を執筆。Twitter:@YlujuzJvzsLUwkB
(エディタ(Editor):dutyadmin)






