
幸食のすゝめ#105、素顔のパリには幸いが住む、目黒

疲れたらタクシーを拾えばいい、腹ごなしにしばらく通りを歩こう。そろそろ「元競馬場前」のバス停に差し掛かるあたりで、フランス語の歌声が聞こえて来た。
「コム・ダビチュード♫」というサビを大声で繰り返している。確かにフランス語だけど、メロディーには聞き覚えがある。あれは、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」だ。
そう言えばあの曲、元はフランスの人気歌手クロード・フランソワとジャック・ルヴォーの曲に、ポール・アンカが新しい詞を付け、シナトラが大ヒットさせたんだ。


自然派ワインとの出逢い

東京の下町で生まれ育ったリョウさんは、高校を出た後、専門学校で料理を学ぶ。栄養士だった母の影響があったのかもしれない。それ以前に、いつも料理に気を遣ってくれる母のおかげで飲食に興味を持ったのかもしれない。もう1つ、いつの頃からか惹かれているものがあった、パリだ。
卒業後、「ホテルニューオータニ」のレストラン、『トレーダー・ヴィックス東京』へ就職。5年の歳月の中で、サービスの基礎やシガー、クラシックなワイン等を学んだ。やがて、知り合いがパリで定食屋を開くというので渡仏。最初からカルトセジュール(滞在許可証)を所得して、“パリの日本人”になった。

力強くて、ミネラルを感じるのに、身体にスッと沁み渡るような感覚、畑のブドウがそのまま瓶詰めされたようなフレッシュなあと口…。
ヴァンナチュール 、自然派ワインとの出逢いだった。
憧れのビストロ初の日本人に
それからは、当時パリの右岸と左岸にポツポツと出来始めていた自然派ワインを置く店を回るようになった。その多くはワインを売る酒屋も兼ねていて、ビストロというより食堂のような雰囲気だった。その中でも、いちばん好きだったのが、10区サン・マルタン運河のほとりにある『ル・ヴェール・ヴォレ』だった。ここにあるようなワインをもっと知りたい、ちゃんとお客さんに伝えられるようになりたい。そんな想いでいっぱいの頃、知り合いの日本人に『ル・ヴェール・ヴォレ』を紹介され、バイトとして入ることになる。

バイトと言っても、無給のチップ制。まだフランス語が不自由な中、ホールからキッチン、受付、テイクアウト。ちゃんと予約が取れないのに、電話番もやらされた。
3ヶ月の激務の後、収穫に行くと約束していた「ジャン・イブ・ペロン」のブドウ畑へ。その次に、「ドメーヌ・アニエス・エ・ルネ・モス」の畑を手伝う。

パリでの日々が嘘のように、毎日が楽しかった。きつい傾斜の畑で剪定(せんてい)していると、とにかくおなかが減って、バゲットを食べまくった。造り手たちの情熱と、強い意思、ワインにかける想いに打たれながら、ずっとルネ・モスの畑にいたいと思った。
そんな時、パリから電話がかかる。
『ル・ヴェール・ヴォレ』のオーナー、シリル・ボウダリエからだった。
「『いつパリに戻ってくる?』、『まだ、まだ』、『戻って来いよ』、そんな会話を繰り返したと思います。何度も電話がかかってきて、その内『社員にしたから戻って来い』と言われた。忙しくて、人手が足りなかったみたいです」
パリに戻ったリョウさんは、自然派ワインのビストロで正式に働き始める。
パリと時差がない料理とワインを



フランスを中心に選ばれた自然派ワインは、もちろん本国との時間差はない。付かず離れずの微妙なサービスも、パリ仕込みそのまま。当初は「ブーダンノワール(豚の血や内臓を使ったフランス伝統のソーセージ)」など、本店の料理を再現したものも置いたが、ワイン同様、その土地のものを大切に活かしたいという想いから、旬の国産食材を使ったメニューが増えていく。

そろそろ自分の可能性を確かめるため、更なる飛躍を求めて、心機一転、『meguro unjour(メグロ アンジュール) 』に改名。姉妹店ではなく完全な個人店となった。「アンジュール」とは、ある1日。平凡な日常にワインという祝祭を注ぐことで、目黒から東京の夜を変えていこうと思った。

そして、お披露目も兼ねて、何人かのシェフたちを呼んだポップアップの中で、リョウさんが考える『アンジュール』に最もふさわしいシェフと出会う。旅する料理人、ノブさんこと並木康伸さんだ。
“移動遊園地”は目黒通りへ
レストランやワインに興味がある方なら、SNSなどで『kermistokyo(ケルミストウキョウ)』という名前を見たことがあるかもしれない。旅で出逢う食材、料理、人、それらを取り巻く文化や風土からインスピレーションを得て、その土地でポップアップする、それがノブさんだ。観光のために旅している訳ではない、その土地に根付いて素晴らしい食材を届けてくれる生産者たちに実際に会いに行くためだ。ノブさんは、旅の中でたくさんの信頼できる人たちと食材に出逢う。
秋田県の田口さんの『T-FARM』の野菜、長崎県五島列島の『林鮮魚店』のクエ、長野県『八千穂漁業』の信州サーモン、北海道の放牧えりも短角牛、滋賀県の木下牛、福岡県の鹿ハンター・shikayaさん、熊本県『玉名牧場』のチーズ…。
「生産者ありき、顔が見えない生産者の食材は使いたくない。だから、2年半くらいかけて、コックをやりながら全国を色々まわって、行った先のお店でポップアップをやってきたんです。その旅で出会った人が、僕の全部なんです」
そんな食材の持つ味を最大限に活かしたノブさんの料理は、それぞれの土地のテロワールを大切にしながらワイン造りを続ける自然派ワインの造り手たちのワインと素晴らしいハーモニーを生み出す。
「kermis」とは、オランダ語で移動遊園地、旅する料理人にぴったりのネーミングだ。
彼の料理に惚れ込んだリョウさんは、何度も熱いコールを重ねた。その結果、移動遊園地はしばらくの間、目黒通りに“常設”されることになった。




でも、まだ旅は終わらない。
ウイルスの季節が終わったら、今度はリョウさんという道連れを伴い、アムステルダム、ブリュッセル、パリへと旅の計画が始まっている。ノブさんの料理と、リョウさんが注ぐワイン。次は世界へと、どこまでも広がって行く2人のケミストリーに興味が尽きない。

「ずっとやってきて、今度やっと自分が考えてた理想の形になるんです。料理も、ワインも最良のものをさりげなく出す。そして、何でもうまい。パリ、そのまんまができると思う」
今、リョウさんとノブさん、最高のペアリングが生み出すパリと時差がない『アンジュール』の夜は、多くの客たちで賑わっている。
素顔のパリには、幸いが住んでいる。

(ドリンク)
・グラスワイン 900円〜
・ボトルワイン 5,000円代〜
(ある日の料理から)
・鹿のパテ、紫キャベツと文旦ジャム 1,400円
・鹿のロースト(2PP) 4.800円
・海老しんじょうとレンコン、ソースタルタル(2PP) 2,400円
・愛媛県穴子となすのテリーヌ(2PP) 2,800円
・熊本バターナッツかぼちゃの冷製ポタージュ 700円
・ビーツと桃のサラダ、玉名牧場のモッツァレラ 1,800円
・紫蘇ジェノベーゼの冷製五島うどん 2,000円
・石川県イワシのマリネ、菊芋の味噌漬けとほおずき 1,800円
・五島列島の真鯛のセビーチェ、アメリカンチェリーとコリアンダーの花 2,000円
・北海道放牧えりも短角牛のレバーカツレツ、黒ニンニクとレフォール 3,200円
・玉名牧場ルミエールチーズ2種、青トマトのコンフイチュール 1,400円
・愛媛県水イカのイカ墨リゾット、ライム(2PP) 3,000円
※本記事に掲載された情報は、取材時時点のものです。また、価格はすべて税別です
メグロ アンジュール
東京都目黒区目黒4-10-7050-3490-9287(お問合わせの際はぐるなびを見たというとスムーズです。)
月・火・木~日・祝前日・祝日
18:00~24:00
ワインショップは15時~OPEN
水曜日
不定休あり

この記事の筆者:森一起(ライター/作詞家/ミュージシャン)