2016年のクリスマスイブに突如乳がん宣告。(ステージⅡB)。晴天の霹靂だった「がん宣告」から約1年間、泣いたり笑ったり怒涛の日々を駆け抜けた、わたしのがん治療体験を連載でお届けしています。
【過去記事】⇒連載「まさか私が!?乳がんドタバタ体験記」記事一覧を見る
突然乳がんの宣告を受け、クリニックを出た後にこぼれる涙を抑えられないまま歩いたクリスマスイブのあの日。
あまりに突然のことで、そのまま帰宅して家族の顔を見るとパニックになってしまいそうだったので、気持ちを落ち着けてから帰ろうと思いました。
書店の「がん」関連本は玉石混交
クリニックのある場所は、ターミナル駅からほど近い場所だったので、とにかく冷静になろうと、まずは本屋さんに向かいました。がんになった知り合いや家族がいないため、無知な私は、とにかく情報収集をしようと思ったのです。
泣きながら駅ビルの書店に駆け込み、がん関連の棚へ。やはり関心が高い人が多いのか、がんのコーナーはとても広く、さまざまな書籍が置かれています。
まずは「乳がん」関連の本を探しました。すると、女性特有のがんということもあり、広さの割に乳がんに特化した書籍はあまり多くありませんでした。
とにかく分かりやすく乳がんについて書かれた本を1冊購入しようと、あれこれページを開いて立ち読みしてみました。
1冊は、乳がんについて分かりやすく書かれている患者向けの解説書、そしてもう1冊は、乳がんにかかった人がその体験を面白おかしく書いた体験記を購入することにしました。
さらに見ていると、がんについての本は、いろんな主張の本がまぜこぜに置かれていることに気づきました。国の学会で確立された標準治療について説明している本の隣に標準治療を真っ向から否定して「がんは放置すべし」という“トンデモ本”が置かれていたりします。
「がんになりやすい性格」謎理論を主張する本も
それ以外にも「がんの原因はこれだ!」と決めつけるような医学的根拠が疑わしそうな本や、「がんは自分への癒し不足でかかるものだから、自分を癒すことでがんが消える」という怪しいスピリチュアル系の本までありました。
初めはそのコーナーを見て「怪しい本がたくさんあるな」と警戒しましたが、さまざまな本を見ていると、徐々に「なんで私ががんになったのだろう?」という気持ちになってきました。
「大病をするときは、自分のいままでの生活や人生を省みる必要があるとき」と聞いたことがあるなぁと思い出し「がんになりやすい性格がある」とかいう本や、「がんにならないための予防本」みたいな本まで手に取ってしまいました。もう乳がんになっているのに……(笑)。
そんなこんなで初めて訪れた書店のがんコーナーであれこれ本を買いあさり、少し気持ちが落ち着きました。これだけ玉石混交、たくさんの書籍が出ているということは、それだけがんになる人が多いということ。
書店の膨大な量のがん関連本を見て、ひとりじゃないと思えたことは、ほんの少しだけ私を癒してくれました。
ドタバタな体験記を思わず一気読み

ふと、すっかり疲れていることに気づき、カフェに入りました。さきほど購入した本をすぐに読みたくなり、手に取ったのは『乳がんと診断されたらすぐに読みたい本 ~私たち100人の乳がん体験記』。
こちらは医学的な解説はメインではなく、実際に乳がんになった女性の体験記。2名の医師監修がついています。子どもと仕事を抱えながらの乳がん治療を、面白おかしく書いていて、読んでいてくすっと笑ってしまうことが何度もありました。
きっと実際には今のわたしのように大変なこともたくさんあったのでしょうが、「がん患者デビュー、上等!」とヤケクソな気持ちになったシーンや、夫に乳がんを伝えたあとのひと言目が「同窓会、行っていい?」でズッコケたシーンなど、治療にまつわる体験談のドタバタ感が愉快で、これからわたしもこんなユニークな体験ができるのか、と今後始まる治療が楽しみにさえなってしまいました。
さらにそのほか、100人の乳がん経験者のアンケートもあり、治療中に困ったことなどの経験談がたくさん掲載されていて、それも「いつ脱ヅラしましたか?」など面白くてためになるアンケートが多く、思わず一気読み。
治療期間中もずっと私の支えになってくれた本で、私のなかの得体のしれない「がん」という未知のものを、「実際に乗り越えられるもの」という現実的なものに変えてくれた本で、いまでも本当に感謝しています。
医学的な情報をきちんと知ることはもちろん大事ですが、実際に体験した人の話は、自分のこととして現実的にとらえるにはとてもよいと実感しました。だからこそ、私もこれから自分が体験することを、きちんと記録して体験談として伝える機会があればいいな、とこの頃から考えていました。
帰宅して家族の顔を見た瞬間、また号泣
書店でがん関連の本を買い、カフェで本を読んで落ち着きを取り戻した私。いざ帰宅しようと、家に向かいました。家族の顔をどんな顔で見ればよいのか、なんと言えばいいのかわかりませんでした。
出迎えてくれた夫は、何と声をかけてよいのかわからないような顔をして「大変だったな」とわたしを迎えてくれました。できるだけ平静を装っていたかったのですが、やはり気持ちがこみあげてきて、思わず大声で泣いてしまいました。
乳がんと言われてから帰宅するまで、ずっとこらえていたものがあふれ出してしまったのだと思います。ダムが決壊したような、とめどない涙。自分でもびっくりするほど大泣きしました。
当時小学3年生だった息子は、そもそも「がん」がどんな病気かもいまひとつ理解できていません。なので息子には「母ちゃん病気になって、手術しなくちゃいけないんだけど、ちゃんとやれば治るんだって。頑張るね」とだけ伝えました。息子も私が泣いているのを見て驚きつつ「うん、大丈夫だよ、がんばってね」と言ってくれました。
その日のクリスマスに結局何を食べたのか、いまいち覚えていません。作る予定だった何かをやめて、チキンやピザを買って食べたような気がします。クリスマスだからできるだけ楽しくすごしたかった。そして年越しも迫っています。ずっと泣いてはいられません。
今さら健康に気遣い出す私

長い長い一日を終え、眠りにつきました。それでも夜は明け、翌日は何事もなかったかのようにやってきます。
一晩たつと、昨日のドタバタがなんだか遠い過去のように思えました。少し気持ちが落ちついたのでしょうか、いよいよ自分の中にあるがんと向き合っていかなくてはいけない、と思いました。
ひとまず、病院に行けるのは年明け。自分の中にあるしこりが「ほぼ悪性」で、どんどん増殖すると思うと、治療を受ける日まで「これ以上大きくならないようにしよう」と思い始めました。
お酒が大好きで、健康について何のケアもしてこなかった私。けれど、がんが大きくなってほしくないという思いから何かせずにはいられず、翌日からいきなりお酒をやめ、なんだか身体に良さそうな生野菜と果物をミキサーにぶち込み、スムージーを作って飲み始めました。
夫はあまりの豹変ぶりに驚き「今さらやってもあんまり意味ないんじゃないの」と遠慮がちに言いました。そんなの自分でもわかっているけど、何かそれっぽいことをしていないと落ち着かなかったのです。
歩くことも運動も大嫌いでしたが、その年の年末年始は穏やかで暖かい日が多く、運動もなんだか良さそうだぞと、家族3人で公園に行ってバドミントンをしたり、今までにない健康的な休日を過ごしてしまいました。後にも先にも、お正月に家族で運動したのはこの年だけです(笑)。
治療をする病院は自分で探さなければいけない…
そんな「今さら健康的」な生活をしながらも、なんとなく落ち着かない日々を過ごしていた年末年始ですが、休み中に与えられていた大きな宿題にも取り組まなければなりませんでした。
それは「年明けに乳がんの治療をする病院を決めておくこと」。
先生は私が指定した病院に紹介状を書くと言ってくれていたので、次にクリニックを訪れて細胞診(腫瘍の細胞を採取して悪性かどうかを判定する検査)の結果を聞くときまでに、治療する病院を決めなくてはいけませんでした。
これは私とって、初めての大変なハードルでした。
<文/塩辛いか乃 監修/石田二郎(医療法人永仁会 Seeds Clinic 新宿三丁目)>
塩辛いか乃
世の中の当たり前を疑うアラフィフ主婦ライター。同志社大学文学部英文学科卒。中3繊細マイペース息子と20歳年上の旦那と3人暮らし。乳がんサバイバー(乳房全摘手術・抗がん剤)。趣味はフラメンコ。ラクするための情熱は誰にも負けない効率モンスター。晩酌のお供はイオンのバーリアル。不眠症。note/Twitter:@yukaikayukako
(エディタ(Editor):dutyadmin)

