人生どん底だった男性が、歌舞伎町で出会った野良猫「たにゃ」について綴ったTwitterが話題です。投稿者は歌舞伎町で商いをしている、たにゃパパさん。
大きな水たまりで泥水を飲んだり、車の下に隠れて雨をよけたり。歌舞伎町で健気に生きるたにゃの写真に、ドラマティックな言葉を添えて投稿し、多くの人の涙を誘っています。この8月にはフォトエッセイ『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』も刊行。たにゃパパさんにたにゃとの出会いについて伺いました。
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――たにゃパパさんとたにゃ君の出会いを教えてください。
たにゃパパ:僕は20年に渡って歌舞伎町で商いをしています。歌舞伎町は日本一の歓楽街。インバウンドもあって、コロナ前は本当に商売がうまくいっていたんです。ところが、2020年。だれも想像してなかったウイルスによって、歌舞伎町は想像を絶するほどの打撃を受けました。
僕の会社も絶望的な状況に追い込まれました。家賃が高いですからね…とにかく売り上げがないとお金が回らない。死んでしまおうかと思うほど、心身ともに疲れ果てていました。
そんなある日の明け方、会社で契約している歌舞伎町の駐車場で1匹の薄汚れた猫が僕をジッと見ていたんです。その猫は、まるで「お前、明日死んじゃうんじゃないの?」とすべてを見透かしたような目をしていました。いつもはにぎわっている歌舞伎町もコロナ禍で静まり返っていて。周りに人がいなかったから僕らは出会えたと思っています。

その日から、どんなに疲れていても朝晩必ずご飯をあげに行きました。僕の名前の一部を取って「たにゃ」と名づけました。たにゃにご飯をあげることが僕の生活の一部になっていきました。たにゃのことを考える時間だけは穏やかで、仕事やお金の悩みから解放される気がしました。
もともと犬派で猫に興味をもったことがなかったのですが、たにゃだけは特別で。たにゃにだけは本音で話せるんです。雨の日も、寒い夜も、クリスマスも、バレンタインデーもたにゃと過ごして。いつしか、たにゃが僕の生きる理由になりました。
――たにゃ君のとの出会いで、どんな変化がありましたか?
たにゃパパ:たにゃとの出会いというより、コロナがよくも悪くも人間関係を見直すきっかけになりました。よくよく考えてみると、僕自身のつながりなんて何もなかったんだなぁって。僕が仕事をやっているからつながっている人、自分の肩書とつながっている人ばっかり。結果だれもいないんだなって、そんな人間関係が明るみに出ました。
僕が「もう一度ゼロから仕事をしよう」と誘っても、誰も「うん」とは言わない。きっとゼロになった僕を「ざまぁみろ」って思っているんです。歌舞伎町には、人が落ちぶれていく姿を喜ぶ人が多いですよ。
自分に勢いがあるときって人が集まってくるんです。僕はちょっと勘違いしてたんでしょうね…自分のキャラクターや自分の能力についてきてくれているのかなって。それに気づかされたときにたにゃと出会ったんです。だから、本当に恋人みたいに思っちゃって。「たにゃと駆け落ちだ!」なんて言ってましたね。
大きな水たまりで泥水を飲んだり、車の下に隠れて雨をよけたり。歌舞伎町で健気に生きるたにゃの写真に、ドラマティックな言葉を添えて投稿し、多くの人の涙を誘っています。この8月にはフォトエッセイ『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』も刊行。たにゃパパさんにたにゃとの出会いについて伺いました。
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死んでしまおうかと思っていた
――たにゃパパさんとたにゃ君の出会いを教えてください。
たにゃパパ:僕は20年に渡って歌舞伎町で商いをしています。歌舞伎町は日本一の歓楽街。インバウンドもあって、コロナ前は本当に商売がうまくいっていたんです。ところが、2020年。だれも想像してなかったウイルスによって、歌舞伎町は想像を絶するほどの打撃を受けました。
僕の会社も絶望的な状況に追い込まれました。家賃が高いですからね…とにかく売り上げがないとお金が回らない。死んでしまおうかと思うほど、心身ともに疲れ果てていました。
そんなある日の明け方、会社で契約している歌舞伎町の駐車場で1匹の薄汚れた猫が僕をジッと見ていたんです。その猫は、まるで「お前、明日死んじゃうんじゃないの?」とすべてを見透かしたような目をしていました。いつもはにぎわっている歌舞伎町もコロナ禍で静まり返っていて。周りに人がいなかったから僕らは出会えたと思っています。

その日から、どんなに疲れていても朝晩必ずご飯をあげに行きました。僕の名前の一部を取って「たにゃ」と名づけました。たにゃにご飯をあげることが僕の生活の一部になっていきました。たにゃのことを考える時間だけは穏やかで、仕事やお金の悩みから解放される気がしました。
もともと犬派で猫に興味をもったことがなかったのですが、たにゃだけは特別で。たにゃにだけは本音で話せるんです。雨の日も、寒い夜も、クリスマスも、バレンタインデーもたにゃと過ごして。いつしか、たにゃが僕の生きる理由になりました。
たにゃだけが、心のよりどころだった
――たにゃ君のとの出会いで、どんな変化がありましたか?
たにゃパパ:たにゃとの出会いというより、コロナがよくも悪くも人間関係を見直すきっかけになりました。よくよく考えてみると、僕自身のつながりなんて何もなかったんだなぁって。僕が仕事をやっているからつながっている人、自分の肩書とつながっている人ばっかり。結果だれもいないんだなって、そんな人間関係が明るみに出ました。
僕が「もう一度ゼロから仕事をしよう」と誘っても、誰も「うん」とは言わない。きっとゼロになった僕を「ざまぁみろ」って思っているんです。歌舞伎町には、人が落ちぶれていく姿を喜ぶ人が多いですよ。
自分に勢いがあるときって人が集まってくるんです。僕はちょっと勘違いしてたんでしょうね…自分のキャラクターや自分の能力についてきてくれているのかなって。それに気づかされたときにたにゃと出会ったんです。だから、本当に恋人みたいに思っちゃって。「たにゃと駆け落ちだ!」なんて言ってましたね。
たにゃのために、部屋中をピカピカに
――その後、たにゃ君を保護し、一緒に住むことになるわけですが…いまの暮らしを教えてください。
たにゃパパ:たにゃはずっと長い間、不衛生で寒くて、暑くて、うるさくて、ご飯も水もない世界で過ごしてきました。ビルとビルの50cmほどのすき間がたにゃの住処でした。ビルの窓から捨てられたであろうゴミに囲まれて…。
だから、たにゃがうちに来たからには、部屋中をピカピカにしておきたいんです。僕は独り暮らしですが、掃除はめちゃめちゃがんばっていますし、たにゃに必要ないものは置きません。テレビは音や光が苦手みたいなので撤去して、洗濯機も脱水の音を嫌がるのでもっぱらコインランドリーです(笑)。僕よりずっとずっと頑張ってきたので、安心して過ごしてもらいたいですね。
普通にいくとたにゃの方が先に死ぬんでしょうから、必ず、笑ってお空に行ってもらえるようしたいなとは心がけています。野良猫だったけど、最後は楽しかったから、まぁいいかって思ってほしい。
世話をすることで、自分が救われている
――たにゃパパさんはたにゃ君の、たにゃ君はたにゃパパさんの命の恩人なんですね。
たにゃパパ:たにゃに会ってなかったら、きっと僕は死んでいたと思います。「つらい状況をわかってほしかった」って思いと「やるだけやってダメだった」って思いとで。逃げ出すってことではなく、責任感から自死を選んでしまっていたんじゃないかな。あるいは自己破産しているか…。
といっても、命があるだけで、今もなにも状況は変わってないんですけどね。借金もあるし…。たにゃに出会ったらお金が返せたって話ならもっといいんですけど(笑)。
今、僕の頭の中からたにゃのことを除くと、借金と仕事のことだけになってしまいます。好きな人がいるわけでもないですし、毎日できる趣味があるわけでもないですし…。僕は2019年までは自転車でレースに出ていたんですけど、コロナ禍では開催されなくて。
つらい中でも、1つ寄りかかれる存在があったから今僕は生きています。朝起きたら「たにゃにご飯あげよう」とか「お水を替えなくちゃ」とか。ペットショップに行って、新しいベッドを探したり、おやつを買ったりするのも、ウキウキしちゃうんですよね。自分の24時間のうち、仕事や借金のことを考えない時間が、とても僕をラクにしてくれるんです。
保護猫活動のボランティアを始めた
――Twitterの反響についてはどうですか?
たにゃパパ:SNSっていいイメージがなくて、僕はこれまでどのSNSもやってなかったんです。でも、たにゃのTwitterの世界は、優しい言葉であふれています。たくさんのフォロワーさんがたにゃのことを見守ってくれています。
それと、Twitterを通じて、保護猫の活動をしている方の存在を知ることになりました。深夜のパートをしながら身銭をきったり、自分の睡眠時間をけずったりして、野良猫を保護しているすごい方々です。僕もそんな方の力になれたらと、保護猫の搬送ボランティアをお手伝いするようになりました。譲渡会に出たり、里親さんのところに連れていったりしていますよ。
Twitterが本になるということにもびっくりしました! 本なんて、HIKAKINくらい成功しないと出せないと思ってましたから(笑)。たにゃは僕をどこへ連れて行こうとしているんだろう…たにゃに導かれるまま、流れに身を任せてみてもいいのかなって思っています。
お金は、なくなったら終わり
――周りの方はたにゃパパさんが猫を飼い始めたり、ウキウキとペットショップに日参する様子を見て、なんと言っていますか?
たにゃパパ:僕は名前を明かさずにTwitterを始めたので、周りの人には知られていないんですよ。自分の素の部分や弱い部分を丸ごとさらけ出しているので、絶対に知られたくないんですけど、じつは先日、会社の女性スタッフさんから「たにゃパパさんですよね…?」って聞かれて、カーッと顔が真っ赤になってしまって。その方にだけバレてました(笑)。猫が大好きで、たにゃのツイートを楽しみにしてくれているので、内緒にしてくれるそうです。
きっと周りの人は僕のことを「たんぽぽを踏んで歩くような人間」だと思っているんです。新宿、とくに歌舞伎町では強くないと生き残れないですから。でも、もともとの僕はたんぽぽをよけて歩く人間だったんです。それをたにゃが思い出させてくれました。
ずっと虚勢をはって生きてきました。ホッとする時間や優しい気持ちになる時間なんて、なかったんです。でも、たにゃに出会って、価値観がひっくり返りました。そうやってがむしゃらに働いて、お金を得ても、なーんの意味もない。なくなったら終わりですから。
弱い存在に手を差し伸べてほしい。自分だって弱いから
――最後に、変わっていく自分をどう思っていますか?
たにゃパパ:たにゃと出会ってから、これまで出会えなかった人たちに出会えて、想像もしなかったことが起こって。今まで見えてなかった道が見えきて、僕も変わってきました。やりたいこともたくさん出てきて、ワクワクしています。
歌舞伎町って「弱い人間が集まっている街」だと僕は思います。弱いからこそ虚勢をはらないと生きていけない。これまでの僕もそうだったと思います。でも僕は、寄り添い、支え合える存在に出会えた。たにゃが僕の弱さを知って、認めてくれた。もう虚勢をはって生きる必要がなくなりました。弱いことを恥ずかしいと思わなくなりました。
人間も動物も、食べていくこと、生きていくことは大変です。雨が降ったら、軒下で震えている猫がいるかもしれない。何日もお腹を空かせている猫がいるかもしれない。たにゃと僕の物語を知ってくれたなら、そんな野良猫たちにも思いを馳せてほしいんです。弱い存在に手を差し伸べてくれたらうれしい。たにゃと出会って、僕は自分でも知らなかった自分に出会えました。世界がもっと優しくなるとうれしいです。
たにゃと一緒に、歌舞伎町を卒業したい
たにゃパパ:じつは、僕はいずれたにゃと一緒に歌舞伎町を卒業しようと思っています。どこか田舎のほうに古民家を買って、そこでラーメン屋さんかおそば屋さんを開こうかなぁ、って。元の生活に戻ろうとあらがうよりも、のんびりたにゃと暮らしたい。それが僕の今の気持ちです。
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フォトエッセイ『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』を見ると、弱い存在に手を差し伸べることは、実は、自分が救われることなんだ……と気づきます。たにゃ君、大切なことを教えてくれてありがとう。
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<文/女子SPA!編集部 写真/『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』より>
(エディタ(Editor):dutyadmin)





