
幸食のすゝめ#104、街の食堂には幸いが住む、西小山
「フォカッチャ?」ドアの外に長身の女性が見えた途端に、シェフの(ばば)かつえさん(写真下)が声をかける。店の近くにある、人気のもんじゃ焼き店のスタッフだ。
「も~、待たせ過ぎですよ、早く食べたかったぁ…」

「どのくらい、持ってく!?」
「たくさん! すぐ食べちゃうからそのまんまでいいよ」
かつえさんは金魚すくいのビニール袋みたいに、袋をふんわり膨らませてカリカリしみしみのフォカッチャをフワリと入れる。ジャンプするような足取りで女性は通りに飛び出して行った。
『パーラー江古田』の卒業生たち
去年2019年の11月にオープンした『cizia(チッツィア)』は、下町の雰囲気が残る西小山の街で少しずつ街の新しい顔になりつつあったが、ウイルスの春を迎えて店内営業を閉めることを決意。「おうちチッツィア」としてテイクアウトを開始。月1回のペースで開いていた「パンやcizia」も定期的に開催。小麦粉そのものさえ市場から無くなり、おいしいパンを待ちわびていた人たちを喜ばせた。

「自家製パンと自然派ワインが楽しめるイタリアン」、おいしいパンをつまみに自然派ワインを楽しみ、料理を楽しむ、近年ブームになっている「パン呑み」の新しい名店だ。


1軒の食堂から始まった想い

学生、サラリーマン、タクシードライバー、お年寄り…、とにかく街中の人が集まっているかのように見えた。その時、これだ、と思った。いつか定食屋をやりたい。レストランのように豪華じゃないけど、居心地が良くておおらかで、自由で個性的な場所。その日から、少女の夢は「食堂」になった。
短大に進み、栄養学を学んだ。でも、卒業する学友たちのほとんどは飲食には進まなかった。銀行員や、一般事務、店員さん…。映画が大好きだったから、かつえさんは実家に近い『立川シネマシティ』でアルバイト、いつか5年の月日が流れていた。
世に映画館は数あれど、『立川シネマシティ』ほど面白い劇場は少ない。個人経営で、大手のような資本力もなく、都心から離れていながら、観客動員数では大都市の劇場を超えることもある。それは、スタッフ主導ですべてのイベント企画やカフェ運営などを行っているからだ。その楽しさに惹かれて、かつえさんも長い時を過ごす。いつのまにか、人前でもじもじしていた性格もすっかりなくなり、接客が好きになった。
そんなある日、カフェの運営に携わった時、調理がすごく楽しくなって、少女の日の夢が蘇ってきた。
「やっぱり、私はコレなんだ。こっちに進もう!」。明日に向かって、もう2度とぶれることはなかった。
イタリアン経由パン、再びイタリアン

大好きなイタリアンの厨房を希望したが、「まずは日本人としての作法を学ぶべし」と言われ、和食で3年間ホール業務を経験。しつらえ、食材、食器、茶道、お花に至るまで、和の基本を学んだ。その後、同社のイタリアンを数店舗渡り歩く。
そんな中で、ある疑問が湧いてくる。
「どうして、イタリアンのパンってフォカッチャしかないんだろう?」
あんなにしっかりと料理を作るのに、パンやデザートに力を入れないのはなぜだろう。パンがおいしければ、料理も、ワインも、もっとおいしく食べられるのに…。

パン作りばかりでなく、時間軸ごとのオペレーションの回し方、最低限揃えるべき機材など、独立を視野に入れた経営者としての資質も身につけた。何が何でも、2年間ですべてを吸収して、再び「際コーポレーション」へ。
原田さんと同じく、かねてから尊敬していた南青山の『トラットリア・フィレンツェ・サンタマリア』太田眞也シェフの元で修業を積むためだ。
太田シェフは常に自分が最前線に立って、お客だけではなく、スタッフにも細かに気配りをしてくれる存在。料理はもちろん、人となりの在り方や立ち居振る舞いまで、すべてが勉強になったと言う。
太田シェフの元で働いた後、満を辞して西小山に自らの城『cizia』を開店する。
フォカッチャから始まる朝
朝、かつえさんの1日はランチ用のフォカッチャを焼くことから始まる。
中では、二次発酵と第一焼成がひと繋ぎになって進んでいく。その後、バットの縁よりも高く膨らんだパンを250℃で20分焼き上げる。それが、あのどこにもないふわふわ食感の秘密だ。
オイルを塗られた表面はカリカリ、浸っていた底面はしみしみになる。

ランチ営業が終わったら、スタッフと自分のためにたっぷりと賄いを作る。
「飲食(業)やってて、賄いがつまんなきゃ、まずいでしょ」
かつえさんの言葉通り、スタッフは賄いを心待ちにしている。


大好きなワインの造り手、宮城の『ファットリア アルフィオーレ』の目黒(浩敬)さんのワイン「hana」に合わせるパンには、ワインに使用している「スチューベン」という品種のブドウを貰い受けて酵母を作り、パンを焼く。
「自分が好きな人のものを使いたい」。その思いはワインだけではない。

素材を愛し、料理を愛し、とことん好きな人にこだわるかつえさんの料理は、高校生の頃出会った食堂の女将さんの料理だ。厨房の中、いつも脇目も振らずに働いているのに笑いが絶えない温かい空気感。誰もが『cizia』に行くとついつい長居してしまう。
食堂は西小山のランドマークに



心の底から屈託なく笑うかつえさん。その笑顔の向こうには、少女の頃憧れた食堂の女将さんの優しさが満ちている。
「え、西小山に住んでるの? いいなぁー、ciziaあるじゃん!」、そんな店にしたいと微笑むかつえさん。ランチに、ディナーに訪れるたくさんの客たちの笑顔には、彼女の想いがもう既に現実になりかけていることを証明している。
街の食堂には、幸いが住んでいる。

(ある日のランチ・すべてフォカッチャ付き)
・しんぷるカラスミペペロンチーノ 1,300円
・豚ひき肉と甘唐辛子のカチョェぺぺ 1,200円
・とりもも肉のソテー 1,500円
(ある日のディナー)
・季節のパスタ 1,400円〜
・ムール貝と仲間たちのワイン蒸し 1,300円
(小皿料理)
・北海道中川さんの麦サラダ 600円
・ciziaのポテトサラダ 600円
・自家製砂肝のコンフィ 600円
・その日のパン盛り合わせ 300円(100g)
(ドリンク)
・自然派ワイングラス 650円〜/ボトル4,000円〜
・アサヒ生ビール 700円
・ベローニ 750円
・ノンアルコールビール 550円
・ソフトドリンク各種 500円
・ハーブティー 400円
※本記事に掲載された情報は、取材日時点のものです。また、価格はすべて税別です。
cizia (チッツィア)
〒142-0062東京都品川区小山6-6-303-6314-3965
12:00~14:00(L.O.)、18:00~21:00(L.O.)
日曜・月曜・祝日不定休

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この記事の筆者:森一起(ライター/作詞家/ミュージシャン)