
幸食のすゝめ#074、突き抜けた普通には幸いが住む、渋谷
「旬のおいしいお刺身と、おばんざいをいくつか、あとは讃岐メンチカツ的なものも絶対に食べたいんですけど」テーブル席に座った4人客の先輩らしき男性がテキパキと料理をオーダーする。
たぶん、店主酒井(英彰)さんが渋谷の名店『高太郎』(※1)の出身者であることを知っているのだろう。
「ウチですと、雲仙ハムカツというのをご用意しているんですけど…」
酒井さんの説明が終わらない内に「えーっ、ハムカツ!それ、最高です」と興奮気味の客たち。
既にみんなは、これから繰り広げられる『酒井商会』の時間に心を躍らせている。

「長崎から佐賀のあたりで食べられている郷土料理で、にがりではなく、葛で固めています。本日は、今が旬の金時草のお浸しを添えました。僕の出身が福岡県なので、主に九州の料理や食材を中心にしてお出ししています」。

中国から長崎に伝わり、焼物の里、佐賀の有田で人気料理になった「呉豆腐」の蕩けるような舌触りと滋味に酔っている内に「造り」の盛り合せが小石原焼(こいしわらやき)の器にのせられて運ばれて来る。思えば、水前寺菜の名前で九州ではポピュラーな金時草も、もともとは東南アジアがルーツ。九州の料理には、どこかに異国の面影がある。

梅を練り込んだ「なめろう」は、自家製の十五夜味噌がアクセント。15日間でできあがる短期熟成の味噌は、爽やかな香気、麹の風味が生きている。カマスの脂を包み込む大根おろしは、細かいおろしと粗い鬼おろしが絶妙の比率で混在する。個性が強いカツオの身には、ニンニクではなく韮。
一つひとつの調理に、素材を知り尽くした繊細な技が光っている。

どこまでも優しい味わいの中に、なごり鱧の脂がのった身のうまみが広がり、緑竹の爽やかな歯ざわりと仄(ほの)かな甘みが句読点を打つ。鹿児島県産の緑竹は台湾で多く見られるもので、通常の筍と違い、夏から旬を迎える。
淡白なはしりには梅肉で和えられる鱧も、食欲を増した産卵後、なごりの時期には熟れた香気を放ち、白湯スープの味に負けない。ここでも、素材と季節を知り尽くした和のあしらいの中に、酒井さんならではのひと工夫が光っている。
仏から和へ、進むべき道との出会い
福岡の大学を卒業後、ワーホリ(ワーキングホリデー)でオーストラリアへ。帰国後、再び渡豪して、現地のフレンチレストランに就職する。皿洗いからデザート番、前菜の担当を経て、最終的には上から数えて3番目になった。
当時のフレンチはフュージョン化が進んでいた頃で、オーストラリアでも和を含むアジアンテイストが導入され始め、酒井さんは欠かせない存在になっていた。

「とにかく、めちゃくちゃ感動して、こんな大人の空間をいつか自分でも作りたいと思うようになったんです。かつて、あのジョエル・ロブションも感動して取入れたカウンター割烹というスタイル。客の目の前で調理して、接客もする、その所作と味、雰囲気、すべてに圧倒されました」。

3年間勤務した頃、すっかり懇意になっていた『高太郎』の店主から「独立前の最後に勉強しないか」と誘われ、憧れの店の技と精神を叩き込む。独立を期した年からちょうど10年、今年の4月、いよいよ自分の城を渋谷に築いた。


コンプリートしたい大人の居酒屋の完成

地鶏の滋味とブロイラーの柔らかさの両面を持つみつせ鶏は、手羽先1本をそのまま加工するが、通常のチューリップとは違い、皮が外に来るように成形。手間は圧倒的に増えてしまうが、唐揚げとしての完成度は遥かに高い。パリパリの皮と、ジューシーで柔らかな肉。ナチュラルワインがどんどん進む看板商品だ。そのまま食べても絶品の雲仙産のハムを厚切りにした「雲仙ハムカツ」も、必ずリピートされる逸品。

おなかに余裕があれば、土鍋ご飯も試したい。いちばん人気は、「ごぼうと揚げ穴子」。穴子は炊き込まず別揚げして上に乗せ、炊き込みご飯と混ぜご飯のいい所だけを活かした箸が止まらない〆だ。
酒井さん自身が大好きで休日に飲んでいたというナチュラルワインの品揃えも、居酒屋の域を軽くオーバー。イタリア料理店での経験も深い、美しきソムリエールがサーヴする。燗酒のセレクトも、申し分ない。

「お風呂に入ってるみたいに、ふわーっとリラックスしてほしいんです」、酒井さんの言葉通り、この店は寛ぎと優しさに満ちている。
いつ食べても飽きが来ない定番の料理たちを、素材を活かし尽くす独創的な発想と確かな技で卓越した逸品に昇華させる。
何を食べてもおいしい、決して普通ではない当り前の料理たち。
突き抜けた普通には、幸いが住んでいる。

(※2)東京と名古屋を中心に全国展開する巨大外食チェーン。業務形態は、カフェ、レストラン、バー、ブライダル、和食と幅広く、海外でも、ハワイ、韓国にも出店している。
(※3)良質な大人の和食を中心に展開する飲食グループ。代表店舗は、酒井さんが在籍した『並木橋なかむら』、『高太郎』の林氏が在籍した『KAN』など。前述の『高太郎』をはじめ、池尻の『おわん』など、独立開業した成功店が多い。
【メニュー】
造り盛り合せ(2人前) 2,200円〜
鱧と緑竹の揚出し 1,500円
みつせ鶏唐揚げ 700円
雲仙ハムカツ 800円
丸茄子の煮おろし 800円
焼穴子サンド 1,500円
五島うどん 700~800円
土鍋ごはん 2,200~2,500円、
グラスワイン 800円~
ボトルワイン 4,000円~
ビール生中 600円 / 生小 400円
サワー類 650円~
日本酒 900円~
※本記事に掲載された情報は、掲載日時点のものです。また、価格はすべて税抜です。
酒井商会
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3-6-18 荻津ビル2階070-4470-7621
18:00~翌2:00(L.O.翌1:00)
日曜

この記事の筆者:森一起(ライター/作詞家/ミュージシャン)
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